天照大神 ー 日拝と鎮魂


 

日拝とは太陽を神として拝し、鎮魂する法です。

 

しかし太陽を司る太陽神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)は、普段我々が目にしている太陽のことではありません

 

惑星の一つである物質太陽は他の星と同様にいつかは消え去ってしまう有限の存在です。

 

神は無限ですから、物質太陽を神とは言えません。

 

人間に眼では見えないエーテル体があるように、太陽にもエーテル太陽があり、宇宙にもエーテル宇宙があります。

 

物質宇宙、エーテル宇宙、あらゆる全体を照らし生かす霊太陽が天照大神です。

 

人の概念では理解を超えた存在ですね…

 

では、天照大神・・・なぜ、天地照大神ではないのでしょう?

 

霊太陽とは原因なき原因、全ての根源であるため、二元の『天地』ではなく、一元の『天』だけなのです。

 

+ー0の中心天である一元は全てに宿るため、八百万の神(無限に存在する神=全ては神)となります。

  

また、私たちのハートセンターには神の遺伝子と呼ばれる原始細胞が存在します。

 

7つのチャクラ同様、それは肉体の中にあるのではなくエーテルオーラの中に存在するため、肉眼で観察できる細胞ではありません。

 

分魂(ワケミタマ)と言われる天照大神の分霊は、この原始細胞を意味します。

 

日拝・鎮魂とは、物質太陽からエネルギーを頂戴するだけではなく、己が神の子であり、霊太陽と原始細胞が同期していることを内観することです。(ヨガの太陽礼拝も同意義)

 

不動である+ー0の中心天と共にあることを鎮魂と表現しています。

  

私たちのエーテル体は絶えず変化しており、日拝(瞑想)を通じて意識を拡大していくことで新しいエネルギーに感応し、活かすことができる領域も広がっていくのです。

 

そして天照大神の子孫は日本人だけでなく全てであり、神は男や女でもないことがご理解いただけましたでしょうか?

 

本質である一元太陽を表現している日本の国旗、日の丸は本当に素晴らしいデザインだと感じます。

 

余談ですが、肉体を離れ、幽界に還られた方が驚くことの1つは、昼夜がないことだそうです。

 

幽界には回る地球や物質太陽がありませんからね・・・